わたしと、きみと。

(オタクの)わたしと、(アイドルの)きみと。

わたしときみと。

 


初めまして、わたしです。

 

まず、このブログを書き始めるにあたって、わたしって何?お前何者?っていう人に向けての簡単な紹介と、ここでいう「きみ」にあたる人物について、少しだけお話しておこうと思い、筆を執った。まぁ、厳密には筆ではなく、キーボードなんだけれども。

 

 

では最初に「わたし」について。

 

 

初めに言っておくが、少し長めの自分語りが始まるので、覚悟して読んでほしい。

(持論だけど、誇張はおたくの得意分野だと思ってる。)

 

なぜ、名前じゃなくてわたしなのか、っていうお話。まぁそこは、単純に名前を考えるのがちょっと面倒だったっていうのと、わたしの前世はポエマーなので、そこはかとなく詩的(笑)な表現が好きだからという世にもアイタタな理由があるので、それは温かい目で見守ってほしい。

 

で、肝心なわたしという人間について

 

とにかく”熱しやすく冷めやすい”。それが一番にくるような気もする。わたしは物心ついた時から、自分よりも遥か上にいる人間に憧れを抱きやすいので、所謂おたくとして生きてきた。まぁ勿論、何度も”そちら側”に憧れて、歌や配信や喋りや演技や、まぁそれは色々と長い長い黒歴史を積み上げてきたわけだけれど…。

 

前述の通り、”熱しやすく冷めやすい”のだ。お察しの通り、継続力もないわたしは、そんなものを長く続けられるわけもなければ、爆発的に伸びるようなスキルも残念ながら持ち合わせていないので、今もこうしてそんな遥か上を眺めては憧れる、ただの一般人であり、おたくのままなのである。

 

そんなわたしの人生は楽しくおたくをさせてもらえる程に豊かである程度の贅沢をさせてもらっていた(と思っている)んだけど、18歳あたりのある時から、わたしを取り巻く環境は一転して、気付けばアラサー目前の貯金も大してなく、定職にもつけていない残念な大人、もとい、残念なおたくの完成である。

 

勿論、わたしがもっと頑張れている人間なら今の環境は少しでももっとまともで良いものに変わっていたんだろうな、と思う。怠惰、努力が足りない、と言われてしまえばそれまでで、きっと世間的に見れば、わたしはダメな大人なんだろうな、って毎日思いながら生きている。ああ、もっと頑張らなくちゃ、どうにかしなくちゃ、そう思うくせに上手く頑張ることのできないまま、ここまで来た。

 

まぁ、でもね、わたしは今、何だかんだ毎日が楽しい。

 

どうしようもない大人だけれど、全然人生崖っぷちだけど、それでも毎日生きるのが楽しくて、嫌いな上司との仕事だって、案外簡単に乗り越えられてしまう。

 

 

それは、何故か。

 

 

そしてブログのサブタイトルを回収する。

 

それは、わたしが新たな生きる理由、「アイドルのきみ」に出会ったからである。

 

何かと熱しやすく冷めやすいわたしは、まぁそれはそれは、色んな界隈を練り歩き、沢山の人に惹かれ、推してきた。先程の説明で言い忘れたが、何より自己肯定感が低い癖に、承認欲求が強い、ダメなところを盛り合わせたような人間なので、長年おたくをしていると、どんどん理想は高くなり、好きだけでは推せなくなり、あっという間に面倒なおたくの出来上がり。我ながら、歳を重ねれば重ねるほど、拗らせたおたくになっていくなぁ、キショ。というのが自分への等身大の評価であり、皮肉でもあった。

 

前までは、長ければ5年、一番好きで時間もお金もかけ、気持ちも強かったと思っている推しですら約2年。でもそれでも、わたしの中では結構好きでいられたな、と思っていた。だから、わたしの周りの人たちや世の中のおたくが10年も20年も同じ人を好きでいられるって素敵だなと思うと同時に羨ましさすらあった。

最近冷めてて、だったり、現場に行ったらモチベが復活した、だったり。

時には、推しのやりたいことがわからない、自分が好きだった推しが変わっちゃって、なんて悩みも。でもそれでも、「やっぱり好きなんだよねぇ、情だよ。」だなんて。

推しと過ごしてきた膨大な時間に、酸いも甘いも吸い取られていくかのような、そんな友達を近くで眺めていて、漠然と、ただ、いいなぁ、と思っていた。

 

 

まぁそれでも、好意というものは、そう簡単にコントロールできるものでもないわけで。どんなにわたしが「この人を何年も好きでいたい!」と思ったって、当のわたしが、わたしの心がもうそこにときめきを感じないんだから仕方ないよなぁ、って降参するしかなくなってしまう。きっとわたしは、ずっと推しに、ときめきや新鮮さや、何にも代え難いドキドキを求めているんだと思う。そんなの、仕方ないと言われればそれまでなんだけれど、それでも、そのわたしが求めるドキドキをずっとわたしに感じさせてくれるような、そんな人がいつか現れると思いながら、夢見がちなわたしは今日この日まで生きてきている。

 

少し話はずれたが、最初へ戻る。まぁ、それで、そんなわたしが出会ったのは、「アイドルのきみ」。本当は、アイドル?っていうジャンルに括っていいのかわからないけど、分かりやすくする為にここでは「アイドルのきみ」とすることにした。

今までにはあまり好きになってこなかったような、きゅるっとしたおめめに可愛らしい顔立ちのきみは、最初こそわたしの心を刺してこなかった癖して、それはまるで毒のようにじわじわとわたしの心を蝕んでいった。まぁ、蝕んでいったなんて聞こえは悪いが、結局今となっては、わたしのこころはきみにしかときめかないんだから、それは呪いも同然だと本気で思った。

 

 

きみと出会ってから、つまらなかった毎日に色が増えた気がした。最近好きになる人はなんでだか好きになってすぐに、その人を好きでいるこの先のビジョンみたいなものが見えなくなっていた。それはわたしからしたら、おたくであるわたしへの死刑宣告と似たようなものだった。

 

「あぁ、わたしは結局また、長くこの人を好きでいられないのかな。」

 

そう思うがだんだんと怖くなっていた。なのに、わたしの単純で浅はかな心臓は誰かを好きになること、おたくをすること、何一つとして辞めてくれなかった。

 

厳密にいえば、多分おたくでなくなった自分にあまりにも生き甲斐が見出せなくなってしまうのが怖かったからだと思う。

 

きっと普通の人なら、自分に投資をしたり、自分がもっとより良い人間になるために、自分に信用や期待や愛や、そういう類のものを預けるんだろう。

けれどわたしは、わたしが今日生きる意味も、毎日働く理由も、誰かに向けたいはずだったわたしが持てる全ての愛も、そういうのまるっと含めて、推しに押し付けてしまうのだ。本当によくないよなぁ、って思うのにそれがいつまでたっても辞められない。

だから、拗らせ面倒おたくが辞められないんだと思う。

 

気付けばあと少しでいよいよ、アラサーと呼ばれる年齢に突入してしまう。嫌すぎる、こんな大人になる予定ではなかったのに。同級生が次々と結婚していく中、わたしは健気に手も届かないきみへの愛を乞うというのに、それはいつまで経っても所詮報われない大きな片想いだ。まぁ、わたしに結婚願望なんてものは一ミリもないので、それだけが救いだな、と少し自嘲気味に自分を宥めてみた。

 

そんなこんなで、『おたくのわたし』が、どれだけ『アイドルのきみ』に想いを伝え続けられるかの、小さな小さな挑戦が始まってしまったので、このブログでは、そんなわたしときみの日常や想いやら、どうしようもない弱音やらを綴っていこうと思う。

 

誰か一人の目にでも留まって、同じような気持ちで苦しむおたくが一ミリでも救われてくれればいいなと切に願う。

 

 

わたし